「ARGYLLE/アーガイル」※ネタバレあり

マシュ―・ヴォーン監督の最新作「ARGYLLE/アーガイル」を観てきた。

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マシュ―でヴォーンな映画であった。80年代90年代スパイ映画感、スタイリッシュな銃撃シーンは、キングスマン以降お約束という感じである。

ただ、キングスマン(1作目)ほどの目新しさや面白さもないように感じた。話が二転三転するが、流石に展開がころころ変わりすぎていて、逆に緊張感がなくなってくる。銃撃とカラフルな煙幕の組み合わせも既視感が強い。

一方、ブライス・ダラス・ハワードがスケートをしながら敵をなぎ倒すシーンは、新鮮な感じがあった。スキーや氷上のカーチェイスは見たことがあるが、スケートはなかなかやっている映画はないのではないだろうか?あと世代的なこともあるが、このスケートシーンは、場所がゴールデンアイにでてきそ~という謎の感慨があった。

ちなみに、ブライス・ダラス・ハワードのドレスは、もう少し動きやすくて本人に似あっているドレスを選んでほしかった。

「落下の解剖学」※ネタバレあり

「落下の解剖学」を観てきた。なんとなく前回のパルムドール作品である「黄金のトライアングル」のようなカオスを期待していたが、割と手堅いつくりの映画だと思った。

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基本的なストーリーラインとしては、夫が転落死したことで、その妻サンドラによる殺人か否かを法廷で争っていくというものである。その過程で、家族の新たな「真実」が「息子の視点で」明らかになっていく、というものである。

なぜ息子の視点で、と書いたかといえば、息子からすると母の不倫や性的志向、父の精神疾患や二人の喧嘩の激しさなど、知らなかったことがたくさんでてくることが、あくまでも息子にとって衝撃であるという点だからだ。観客ももちろんこれらの事実を知らないのだが、そもそも観客からすると予告にあるような「幸せな家族像」を映画本編で読み解くことは難しい。むしろ最初から、どこかちぐはぐした家庭内が描かれており、驚くというよりは、まあそうだよな、という感想だからである。

この点で、息子はよりナイーブで、彼は口論をするものの、それほど激しい喧嘩をしていると知らなかったし、母も父も自分が想定していた両親の像と異なる像が裁判で提示される。そこをどのように折り合いをつけていくか、という過程においては、少年が大人になるというプロットとして手堅いつくりだと言えるだろう。

また別の側面としては、人はある事実にストーリーを読み込む、ということが1つの物語の核心になっている。夫は死に、確実な証拠もないなか、登場人物たちは各々が自分たちのストーリーを作り出していく。完成されたストーリーを各々が語る「藪の中」方式とはまた別の作りであり、出現する事柄にその都度ストーリーにあうよう解釈を加えていくというような流れで話が進んでいく。観る側としても、いずれのストーリーにものめりこめず、また、そもそもその事実にそのような意味付けが可能なのかも不明になってくる。このあたりのバランスは面白いと思った。一方、ラストは観客としては何もわからないまま終わるのだが、ここはもうひとひねりあってもよかったのではないかと思う。

「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」

森美で開催されている「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」を観てきた。

www.mori.art.museum

エルメスで行われた関連企画のときも思ったが、環境なんてガン無視している感じがする森ビル内での展示である。ちなみに、エルメスギャラリーではダイアローグ2が行われているので、こちらもそのうち行きたい。

規模感ではニナ・カネルの作品が鑑賞者も作品の中に入れるため、一番印象に残っている。他に面白いと思ったのは、エミリヤ・シュカルヌリーテの映像作品《時の矢》である。

《時の矢》は、人魚のような生物が青い海を泳いでいる映像が続く。また、原発内部で蛇がうごめく様子などが映し出されるのだが、この映像のポイントは、人間が滅びた世界ということらしいのだ。作者の意図としては、人間が滅びてしまうことへの警鐘なのだろうが、個人的には人間ではないが生物が生息していることや、海の美しさから、人間滅亡がある種のハッピーエンドのように見えるところが面白かった。人間の滅亡など、人間にとっては大問題だが、世界からすれば大した問題ではないのである。

他に、やややった者勝ちな作品も散見されたが、総じて面白い作品が多かった。

「哀れなるものたち」※ネタバレあり

金獅子賞をはじめ数々の映画賞を獲得している「哀れなるものたち」を観たきた。

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カテゴリーがコメディに区分されることもあったので油断していたのだが、ヨルゴス・ランティモス監督作品である。当然ながらそれなりにどぎついシーンがたびたび挿入される(最初からそう思ってみればそれほどきつい描写はない、たぶん)。序盤は特に、死体の目をメス(?)で突きまくって喜ぶベラや、脳を切り刻むシーンが多くてちょっとしんどかったが、後半はベラの典型的な教養小説における冒険という感じのストーリーになる。

というのも、序盤からベラはなんとなくファウストに出てくるホムンクルスっぽいな、という感じだったし、たびたびでてくる「すべてを体験するのよ!」というセリフもファウストっぽい。何より、途中でゲーテの書籍がでてくるので(海に投げ捨てられるが)、監督のインタビューなどは読んでいないが、おそらく下敷きの1つなのだろう。赤ちゃんの頭脳を持つベラは、「世界」そのものを経験することで、人格を形成していく。

もちろんそのような教養小説にはない視点も存在する。それがベラのジェンダー感の更新と、身体をめぐる問題だろう。後半、ベラは自らの身体の決定権は自分にあると主張する。プライベートだろうが仕事だろうが、性の決定権はベラにあるのだと。確かにそれはその通りであろうが、一方で、話はそれほど単純なのだろうか?という気もする。なぜならば、ベラの身体は彼女の母のものであり、「本来的に」という意味において、彼女自身のものではないからである。

しかし、そのようなねじれについて、ベラ自身はあまり悩んでいるように見えない。むしろ、それも含めて、自分自身の興味が赴くままに、人生を歩んでいくようですらある。結局のところ、彼女の強さというのは、そのように人生を引き受けて前進していくことにあるのかもしれない。どうも結局のところ、『ファウスト』に戻ってきてしまったようである。

「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」※ネタバレあり

ガンダムSEEDの劇場版最新作を観てきた。はじめてリアタイで観たガンダムがSEEDで、そのあとのDESTINYもリアタイで観ていた世代としては、もう待つことすら忘れていた劇場版である。

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観た感想としては、ダメなところもSEEDっぽいなというところである。意味ありげで無内容な会話に、ダサい服装、うじうじするメインキャラクター、劇場版なのにたまに崩れる作画とダメさ加減もSEEDの正統な続編という感じだ。ちなみに、新キャラやMSが他の世界観というか、コードギアスにしか見えないのもご愛敬である。

以上はSEEDってこんな感じだったなというところで受け入れられるが、映画としてすごく残念だったのは、完全にやっていることがDESTINYと同じ、というところである。そもそも敵がデスティニープラン支持者で、終盤は暴力性むき出しでレクイエムをオーブに撃とうとするのも、まんまDESTINYである。なぜみんなオーブを討てばなんとかなる、みたいな思考なのか。20年前のストーリーをもう一度見るのは、非常に退屈だった。シンも議長からキラに依存先を変えただけにみえ、何も成長していないのもどうかという気がする。

すでにキャラビジネスになって久しいので、逆シャアのようなものを期待してもしょうがないのかもしれないが、ギャグ以外のところで違うものを見せてほしかった。

2024年上半期は何をするか

すでに1月も終了したが、24年の方向性が定まった。ひとまず上半期の大きな目標は2つ。

1.国際学会での報告

今年は何か新しいスポーツとか、楽器とか始めようかな~、ぐらいのゆるい感じだったのだが、研究所内で「6月のある国際学会で報告せよ」というお達しがでたので、急遽準備することになった。ペーパー、報告、質疑応答とほぼ半年かけて準備することとなった。とりあえず、今は聞き流しでかけるものは英語、読むモノも基本英語、日本語で読む本も英語に関する本、ととにかく英語に触れるようにしている。そのうちイギリスでも行きたい。

 

2.疲れにくい身体づくり

これは国際学会とは関係なく年間通して取り込もうと思っていたこと。歳をとってとにかく体力を維持することがしんどくなってきている。そこで、週2、3で取り組んでいるキックボクシング以外にも、もっと生活レベルで疲れにくい身体をつくることを目指さうというものだ。まず小学生の目標みたいだが、よく噛んで食べるが1つ。結構、食べるのがはやいほうなのだが、胃腸への負担が大きく、早食いは身体を疲れさせる要因の1つらしい。今は、以前より倍以上の時間をかけて食べている。

2つ目は、スマホを見る時間を減らすである。睡眠の質に影響するし、何か時間を浪費している感じが強いので、精神にもよくないなと思いながらなかなか短くできていなかった。スマホの情報から長くみているアプリなどに具体的に時間制限をかけることにした。

あとキックボクシングは継続である。ただ、キックボクシングも4年目にはいったのだが、キックボクシングをやるうえでの目標もそろそろほしい気がする。試合でもでるか?とも思うのだが、そこまでやるとケガする確率がぐんと上がるので、結構悩みどころである。まあ、こちらはそのうち。

「アニッシュ・カプーア_奪われた自由への眼差し_監視社会の未来」

GYREで開催されているアニシュ・カプーアの個展に行ってきた。

gyre-omotesando.com

展示は絵画とともに立体作品があるのだが、マグマにも臓器にも見えるなかなか迫力のある展示となっている。一方で、会場の文章は「制御されない何か」がいかにもな言葉で説明されており、ちょっと説明的すぎるような気もした(ちなみに作家本人のステイトメントではない)。

ちなみにカプーアが観たか知らないが、ここらへんはシン・ゴジラ感がある。